
巨尻堂 堂主・導師 桃幻
——あなたは、巨尻を見たときに何を感じますか。
欲でしょうか。恥でしょうか。
それとも、美、でしょうか。
私は申します。
巨尻とは、感じるものではなく、見つめるものでございます。
肉体の形、心の構造
尻とは、人体のなかで最も沈黙する部位。
声を持たず、言葉を返さず、ただ“形”で語ります。
その静けさこそ、巨尻の本質。
理屈ではなく、形そのものが真理を語るのです。
巨尻とは、単に大きい尻ではございません。
それは、人間という存在の包容力を象徴する形。
受け入れ、支え、揺らぎ、そして許す。
その動きの中に、宇宙のリズムが宿ります。
私はこの曲線を「重力の祈り」と呼んでおります。
地に引かれながらも、空を想う形。
それが、巨尻の構造です。
美と煩悩の境界
巨尻は、見る者を試します。
あなたがそこに煩悩を見るなら、煩悩に沈むでしょう。
あなたがそこに美を見るなら、美に救われるでしょう。
つまり、巨尻とは鏡なのです。
己の心が澄んでいれば、それは慈悲に見え、
曇っていれば、それは欲望に映ります。
巨尻を前にして恥じる者は、まだ悟りの手前におります。
しかし、そこに安らぎを感じる者は、
すでに「尻の哲学」を理解し始めているのです。
魂を包むもの
尻とは、生命の終点であり、始まりでもあります。
座るとき、倒れるとき、抱くとき――
人は無意識のうちに尻を地に委ね、支えとして生きております。
ゆえに巨尻は、ただの形ではなく、
人間の存在を支える“根”の象徴。
私はこう考えます。
尻は「魂の座」であり、
巨尻とは「包み込む慈悲の形」なのです。
それゆえ、巨尻を笑うことは、慈悲を笑うことに等しい。
巨尻を敬うことは、世界そのものを受け入れることなのです。
導師の言葉
巨尻は、欲望を否定せずに昇華するための“形の経典”でございます。
人が理性を忘れる瞬間にこそ、真実の美が現れます。
その美を恐れず、穢さず、ただ静かに見つめること。
それが、巨尻堂の最初の修行です。
どうか、目を閉じて思い浮かべてください。
あなたの中の“曲線”を。
それがまだ恥じらいの影にあるなら、
心の中でそっとこう唱えてください。
「欲は罪にあらず。祈りなり。」
次回予告:第三章 巨尻信仰のはじまり
——言葉が広まり、人々の間で“拝む文化”へと変わっていった時代を語ります。
巨尻堂 堂主・導師 桃幻